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それは、今から10年ちょっと前のこと。
まだネットを始めていなかった20代になったばかりの私は、なかなか丸美本を入手できないことに業を煮やし、「佐々木さんの本が手に入らないなら、入るようにしちゃえ!」そう思いました。(今から思えば若気の至りもいいところで、無茶で無謀な「野望」ですが・・・)
そして思いついて始めた署名運動、それが「MFS(佐々木丸美作品復刊推進委員会)」の始まりとなりました。 |
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その後運良く全巻(※講談社の単行本、文庫)を手に入れ、ネットデビューし、そこで知り合ったマルミストたち(佐々木丸美ファン)のご協力を得た私は「もう一度、丸美作品を本屋に並べたい!」、「丸美作品を伝えていきたい!」ということを目標に、相棒となったTETSUさんとともに復刊活動を行い、最終的にはデビュー当時の担当さんやブッキング(復刊ドットコム)さんの力も借り、生死すらわからなかった丸美さんに直接復刊をお願いするところまでたどり着きました。 |
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けれど、丸美さんは「みんなの気持ちが嬉しい。長い間好きでいてくれてありがとう」と言って下さったものの、復刊には消極的でした。(※復刊を「拒絶」、「かたくなに拒んでいた」といつしか広まっているようですが、実際はそうではありません。まちがったとらえ方をされ復刊を誹謗中傷されるのは、ものすごく悲しいです)
その一番大きな理由は、「過去の作品ではなく新作を世に出したい」という思いのほうが強かったからです。結果的に1984年刊行の「榛(はしばみ)家の伝説」以降、新作は世に出ることはありませんでしたが、ご本人としては「筆を折った」おつもりはなかったのだと思います。
復刊活動をしていく内にこうした先生のお気持ちを知ることとなった私たちは、そのご意思を尊重したいと思い、2001年9月6日に復刊活動を凍結することを決めたのでした。 |
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しかし2005年12月25日に、丸美さんが他界されました。
ファンにとってはあまりにも突然の、そして56歳というあまりにも早すぎるお別れでした。 |
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その悲しみの中で関係者たちが心から考えたのは、「残された作品を伝えていきたい!」という思い。私たちと丸美さんの考えた方向性は少し違っていたけれど、「作品をもう一度世に出したい」という思いは同じでした。
丸美さんが亡くなった今、私たちにできること。それは残された作品を再び世に出していくことではないのか。
そう思った私たちは「復刊運動を再開していこう」という結論に至りました。 |
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そこには丸美さんのご家族や私たち関係者のたくさんの涙と葛藤があり、それはファンの方々も同様だったと思います。
けれどご家族のご理解とファンへのあたたかい想い、多くのマルミストの方々の応援、出版社やメディアのご協力を受け、ついに2006年12月より、ブッキングからは単行本全18冊が、創元推理文庫(東京創元社)からは「崖の館」、「水に描かれた館」、「夢館」が復刊。この復刊は新聞、雑誌等で多数取り上げられ、さらに北海道で「佐々木丸美展」を開催するほどとなりました。
そして2008年12月には再び創元推理文庫より「雪の断章」が発売、さらに「忘れな草」、「花嫁人形」、「風花の里」の<孤児4部作>、「罪・万華鏡」、「罪灯」が追加文庫化。この追加文庫化の終了をもって、全目標達成(単行本、文庫の両方を出す、「あとがき」を入れる、その他収録できるものはすべて入れるなど)というゴールにたどり着いた私たちMFSは、2009年12月20日に復刊運動を終了いたしました。
(※「罪・万華鏡」、「罪灯」は講談社版では単行本のみの刊行だったので、今回が初の文庫化となります) |
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「ベストセラーでなくていい、長く長く愛されるロングセラーになってほしい」ということが、MFSの願いです。
1984年に発売された「榛(はしばみ)家の伝説」以降作品を発表されることはついになく、人々の記憶から「佐々木丸美」の名前が消えていってもこうして再びその灯がよみがえったように、私たちも次の世代に伝えていきたい。そのために、これからも私は自分にできることを精一杯したいと思っています。 |
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