このサイトは作家の故・佐々木丸美さん作品の復刊、布教運動を行っている“MFS”
(佐々木丸美作品復刊推進委員会)の活動をメインとした、ご家族公認のファンサイトです
           
 
 
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     MFSの復刊運動は、1998年に私(ウイ)が雑誌で署名を募集したことから始まりました。

   復刊運動を開始する時、復刊運動中、そして丸美さん他界後に再度復刊運動を再開した際、ファンの間には 
   復刊に対するさまざまな意見がありました。けれど、結果的に多くの方々の理解や協力を得て、今に至ります。

そんな復刊までの道のりを、簡単に振り返ってみたいと思います。



● 復刊までの経緯 ●


 1994年〜
   1995
本好きだった高校生のウイは、とある雑誌の数年前のバックナンバーの「本紹介」コーナーで、読者投稿が何度も載っていた「佐々木丸美」に興味を持ち、「いつか読むリスト」に入れていた。その後「雪の断章」を読み、衝撃を受ける。瞬間的に「人生最大の作家に出会った!」と思うが、ハマることを恐れ、読むのは「雪の断章」だけにとどめた。
しかし1年後、抜けられなくなることに気付きながらもたまらなくなり他の作品も読み、最終的に今に至る。
 1997年 「佐々木さんファンはかつてたくさんいたけど、今はこの世に私一人しかいない!(根拠はないのですが) これだけの本は人に言わなきゃもったいない!! 『佐々木丸美Push計画』だ!」と思い、「活字倶楽部」(1997年夏号)という本の雑誌に丸美さん紹介ハガキを出し、それが掲載される。
(これ以降、「かつくら」では丸美さんファンが増え、2000年には小特集を組まれるまでに至った)
12月、(この当時すでに丸美さんは人々の記憶の彼方になっていたのに)本の雑誌「ダ・ヴィンチ」でたまたま3人の丸美本を探している方に出会い、驚く。なんと一週間後に私も別の情報誌に譲渡願いが掲載されることになっていたので・・・。
初めて出会った同志に大興奮した私はその3人の方にかなり熱い手紙を送り、その内の1人に「ニョロりんさん」を紹介され、文通を始める。
 1998年 上記の雑誌で譲渡願いが掲載され、6冊を譲り受ける。
しかしどうしても全巻そろえたいと思い、「ええいっ、手に入らないなら入るようにしてしまえ!」と単純に考える。そして復刊願いの手紙を講談社宛てに送ったものの、「講談社での復刊は難しい」と言われてしまう。
「いい本は必ず復刊する(丸美さんはその価値がある)」と信じて疑わなかったウイは、この返答に大いに驚く。この時点ですでに、復刊願いの手紙さえ出せば復刊してもらえるものと思い、「活字倶楽部」で『佐々木丸美作品復刊署名募集』というハガキを出していたため、「どうしよう」と思う。
しかしそれが掲載され、署名のお手紙が最終的には22通届いたのものの、「丸美作品の復刊は難しかった」ことをお詫びし、復刊運動はあっけなく一時停止となる。
「復刊署名募集」が掲載される前の6月、文通相手のニョロりんさんから「インターネットやパソコン通信で佐々木さん関連のHPがあります」と教えていただき、10月に4ヶ月かかってようやくネットデビュー。当時、時を同じくしてパソコン通信(現@ニフティー)の「佐々木丸美倶楽部」が盛り上がっていて、そこに参加するようになる。
(この当時はネットも携帯もブログもまったく普及していない時代で、まだほとんどマルミストサイトは存在しなかった)
 1999年 3月頃に現在、相棒となっているTETSUさんと出会い、意気投合。いつの間にか復刊に向けた取り組みがマルミスト内で話題になり、5月に「復刊運動」は正式にスタートとなる。
(会員をつのったり、「原作本」として話題にするため、映像化しやすい「ながれ星」のテレビドラマ化企画書をテレビ局に送ったりと、本格的に活動。「復刊運動の名称を決めたほうがわかりやすい」ということで、「MFS(佐々木丸美作品復刊推進委員会)」と名乗るようになったのもこの頃。)
 2000年 7月25日に、3年越しの夢が叶い、「活字倶楽部(2000年 夏号)」で7ページの『佐々木丸美特集』が掲載。これにより、「特集前」、「特集後」と言えるほどに新しい読者が増えることとなった。
(のちに文庫版の復刊本を刊行する東京創元社の関係者も、この特集で『佐々木丸美』を知ったそうである)
  この頃、「投票上位の本を復刊検討する」という「復刊ドットコム」が立ち上がり、これを利用して復刊していくことを決定。立ち上げ早々、18作品が投票上位に入った「佐々木丸美」は「復刊ドットコム」の運営元、ブッキングの目にとまり、MFSとブッキングは共同で復刊を目指していくこととなる。
しかし生死すら不明だった丸美さんとブッキングは連絡を取れたが、「復刊は遠慮したい」という返事を得た。
 2001年 3月上旬、ウイ、ブッキングの(当時の)左田野常務、竹林部長、TETSUさんの4人は北海道に丸美さんの説得に向かう。しかし「気持ちは嬉しい」と言われたものの、やはり返答は同じであった。
3月中旬〜4月、「丸美さんへの復刊嘆願書計画!」ということで約60名分の嘆願書を、「復刊ドットコム」を通じて丸美さんに送る。その後も何度かブッキングは丸美さんに連絡を取るが、返答は変わらなかった。
9月6日、丸美さんのご意思を尊重してMFSとブッキングの復刊運動は無期限の凍結を決定。「いつか心の雪がとける日が来る」と信じ、個人的に手紙や季節のハガキを送り続けることになる。
 2005年 12月25日に丸美さんが他界。
 2006年 1月、訃報を発表。その後、関係者で熟考の上、復刊運動を再開。
著作権を引き継がれたご家族より、復刊の承諾を得る。
12月下旬、ブッキングより単行本「雪の断章」が、創元推理文庫より「崖の館」が復刊。書店に再び佐々木丸美の本が並び、新聞、雑誌等のメディアで復刊が取り上げられる。
   2007年 2月、4月に創元推理文庫より「水に描かれた館」、「夢館」が復刊。ブッキングでも全18巻の<佐々木丸美コレクション>が順調に復刊。
 
  「この文庫がすごい! 2007年版」で、創元推理文庫版「崖の館」が第5位にランクイン。
 2008年 4月、1年4ヶ月かかったブッキングの<佐々木丸美コレクション>全18巻が復刊完了。
引き続き、創元推理文庫より「雪の断章」、「忘れな草」、「花嫁人形」、「風花の里」、「罪灯」、「罪・万華鏡」の追加文庫化決定を発表。
  12月20日、創元推理文庫より「雪の断章」が復刊。
 2009年 1月27日、創元推理文庫より「忘れな草」が復刊。
3月24日、創元推理文庫より「花嫁人形」が復刊。
5月29日、創元推理文庫より「風花の里」が復刊。
11月27日、創元推理文庫より「罪灯」が復刊。
12月19日、創元推理文庫より「罪・万華鏡」が復刊。
12月20日、MFSの復刊運動を終了。






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