このサイトは作家の故・佐々木丸美さん作品の復刊、布教運動を行っている“MFS”
(佐々木丸美作品復刊推進委員会)の活動をメインとした、ご家族公認のファンサイトです
           
 
 
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     私たちMFSは佐々木丸美さんの生前、ご本人に復刊を嘆願する状況までたどり着きました。

    けれどご本人が復刊に消極的だったため、活動を自粛、一時凍結していた期間がありました。その「復刊
     困難」であった当時をご存知ない方のため、その頃の状況についての過去ログを残しておきたいと思います。

     (現在では全18冊が単行本で復刊、一部作品は文庫でも復刊し、2009年12月20日に復刊運動は終了しています。
なお、丸美さんはいつしか誤って広まっているように、「復刊をかたくなに拒んでいた」わけではありません。
    さまざまな思いがあり復刊を承諾されませんでしたが、ファンの気持ちをとてもとても喜んでおられました。私たち関係者は
  丸美先生のご意思を踏みにじってまで復刊したのではないことを、当サイトを通じてご理解いただければ幸いです)



●復刊運動凍結と、今後の活動について(過去ログ) ●


(2001年9月6日 MFS(佐々木丸美作品復刊推進委員会)代表者 ウイ&TETSU)
以前から、皆さまには「丸美さんから復刊のご承諾がいただけない」ということはお伝えして参りました。それでも希望を持ち続けて交渉して参りましたが、佐々木丸美先生から、「最終的なメッセージ」が復刊ドットコムさんに届き、ドットコムさんとしてはご本人のご意志を尊重し、「復刊断念」という決断を下されるに至りました。
以下、2001年9月5日に、復刊ドットコムの左田野渉常務より発信されたメールと、私たちマルミストへの追記を付記いたしますので、皆さまどうぞお読み下さいませ。
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<2001年9月5日の文章を、復刊ドットコムの左田野渉常務より許可を得て引用いたします>

...ここのとこずっと佐々木丸美先生の復刊リクエストに応えるべく、私と竹林(部長)が交渉にあたっておりました。われわれも復刊投票点数においてナンバー1である佐々木先生の作品を何とか復刊を実現させようと努力してまいりました。

私は個人的にも佐々木先生の作品が好きです。
「雪の断章」の主人公飛鳥のひたむきさ、「崖の館」で繰り広げられる教養とウィットに富んだスピーディな議論の展開。その広い教養に支えられた、真っ直ぐな情熱は強烈な魅力に溢れています。この佐々木丸美ワールドの独特な世界を、何とか復興したいという思いで交渉に当たってまいった次第であります。実際に、毎週末には先生に復刊を嘆願する書簡を発信し、その回数は30回に及びました。
又、ファンクラブの方々に同行して頂いて、先生がお住まいになっている雪の北海道に訪問に行って、3mはあろうかという新雪に嵌まり込んでしまったこともあります。やれる範囲で、精いっぱい交渉いたしました。

しかし願いは叶えられませんでした。先生は復刊を認めては下さいませんでした。詳しい事情は申し上げられませんが、先生はやや健康を害しておられて、もう出版の世界とは離れて生きてゆきたいとのことでした。先生と直接に言葉を交わした末に、先生ご自身が下された結論です。
読みたい読者の方々から、著作権者がその権利を奪うことの間違いを何度も先生に訴えましたが、やはりご無理との回答でした。

佐々木先生には佐々木先生のご事情がありますから、そこは理解せねばならないと思っています。5年、10年、いつの日か佐々木先生のご健康が回復された時、私が復刊ドットコムの仕事に、まだ携わっていたなら、その時こそ改めて交渉を再開しようかと思います。...

(*注:丸美さんは入院したり通院したりなど、病気をしていらっしゃるわけではありません。どうぞご心配なく...)

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<左田野常務より、当サイトの皆さまへの追記>

貴サイトに参加の皆さまにおかれましては、平素より復刊ドットコムの活動に、ご理解、ご支援を頂き、誠にありがとうございます。この度はわれわれの力及ばず、期待に沿うことができませんでしたが、交渉の期間中の皆さまのバックアップには深く感謝いたしております。特に、嘆願書の提出につきましては、多くの書簡を届けていただいたことに御礼申し上げます。

又、嘆願書提出の折に「検閲」が間に入るということに、貴サイトの中で葛藤があったことも、漏れうかがっております。 他のファンサイトでは、掲示板などで、かなり激しい言葉のやりとりが交わされていたことを見て、やや心配だったのです。しかしながら、そのような心配は全く杞憂で、皆さまの高潔で愛情深い書面を前に、かえって失礼なことをしてしまったなと後悔いたしました。何卒、万全を期するがゆえの行為であったと、お許し下さい。又、交渉期間中、なかなか交渉内容を公にできなかった事情もあり、皆さま、やきもきされたでしょうが、そのへんも併せてお詫び申し上げます。私も、現職にある限り、「残念」作品を「決定」に変えてゆく機会は、長期的視野に入れ続けてゆこうと思っています。

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...以上です。
このたびのドットコムさんのご決断は、ご本人のご意志が変わらない以上、私たちもやむを得ないと考えました。そして、これから私たちはどうするかと考えた時、やはりこれ以上どうすることもできないという結論に達しました。そして、代表者である私ことウイと、参謀のTETSUさんとで話し合った結果、
「ご本人の数回にわたるこの意志表示を尊重して、これまでの活動を一度整理し、『凍結』せざるを得ない」
という結論に至りました。

これだけ「読みたい」と切望する方々が大勢いる中、ご本人のご意志により復刊できないということは、本当に残念であり、無念です。最終的に「凍結」と決断するほかなかったこのつらさ、皆さまにはご理解いただけることと思います。

ここに至るまでのことを振り返ってみると、本当に、長くて短い3年間でした。
これまでにも何度か書いてきましたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、この活動は、元々私ことウイが「手に入らないなら、復刊してしまえばいい!」と思い立ったことから始まりました。
1997頃、私は本格的に丸美作品にハマり、当時はインターネットもしていませんでしたので、手に入らない丸美本を「全巻GETした!!」という夢を何度も見ては目が覚めてからの現実に気づき、ノイローゼになりそうだった時期もありました。
それほどまでに、手に入れたかった丸美作品。今、同じように彼女の作品を求めている方々がいらっしゃることはとても他人事とは思えず、「みんなが簡単に、定価で手に入れられる環境を!!」と思い、皆さまに支えられてTETSUさんと二人、この3年間活動して参りました。

雑誌「活字倶楽部」で署名を集め、その後ネットにて正式に活動を始めた当時は丸美さんご本人のご意志がわからずながらも、「TVドラマ化してもらって、復刊させよう!」ということで「ながれ星」のドラマ化を企画したり、ドットコムさんのように「1000冊のリクエストがあれば、復刊できる」という、通販会社“フェリシモ”さんの“復刊リクエスト”をみんなで利用しようとしたこともありました。
けれど、以前から注目していて、「疑問点が解明できればやろう!」と思っていた「復刊ドットコム」さん計画を開始し、すでに投票されていた方、呼びかけによって投票して下さった方々のリクエストのおかげで丸美作品はじょじょに投票数を増し、ついにはドットコムさんが丸美さんに交渉! というところにまでたどり着きました。

けれど丸美さんご本人からは、「申し訳ないですが...」というお返事が届き、なんとかお気持ちを変えていただくため、ドットコムさんに同行させていただき、ご本人に私たちファンの気持ちを伝えて参りました。けれど、気持ちを受け取っていただけたものの、復刊についてOKをいただくことができず、その後も皆さんと共に嘆願書をお送りしたり、お手紙を差し上げたりしてきましたが、丸美さんのお気持ちを変えることは、とうとうできませんでした。そしてその後、左田野常務が受けた最終メッセージにより、活動が「凍結」するほかないという、私たちみんなにとって、大変つらい結果となってしまったのです。

そして、今。「この状態で、これから何ができるのか」、そのことを考えた時、
「復刊は無理でも、私たちの一番の目的だった『丸美作品を伝えてゆくこと』はできる!!」
という、最初のこのMFSの目標を、改めて見つめていきたいということになりました。

...話が少しそれますが、私やTETSUさん、マルミスト仲間のニョロりんさんの間では、「金子みすずさん」という、大正〜昭和初期の、「埋もれていた」幻の童謡詩人の方が何度か話題に上ったことがありました。
「昨今の『みすずブーム』は、一体どこから来たのだろう? 丸美さんと共通する部分はないかな?」...と。
そしてつい最近、立て続けに舞台化、映画化、ドラマ化され、各メディアに記事が載りました。その内の1つを友人が教えて下さり、その中にとても感銘を受ける部分がありました。

みすずさんは、長い間埋もれていましたが、児童文学者の矢崎節夫さんという方が偶然いくつか、みすずさんの詩を読まれ、数年かけていろいろなご縁でその作品を読み進めるに至りました。
矢崎氏は、みすずさんの作品を本にしようとなさいましたが、どこの出版社からも答えは「NO」。けれど、JULA出版局という所の大村祐子さんという方だけが、
「1万円出す人を300人集めましょう。本にしておけば、50年は残る」(朝日新聞より)
とおっしゃったということが書いてあり、私やTETSUさんの心の中に、しん、と溶け込み、心を震わせました。

「1万円出す人を300人集めましょう。本にしておけば、50年は残る」
...なんてすごいお言葉だろうと思いました。このひとことに、私の、そしてTETSUさんの丸美作品への思いが言い表されていたのです。
私は偶然、10年ほど前にある雑誌の、(更に10年前の)バックナンバーで丸美さんの存在を知り、「佐々木丸美」という作家に出会うことができました。それはリアルタイムで丸美さんを読んでこなかった私にとってはとても奇跡的なことに感じ、「本」という形態があったからこそ、めぐり会えた奇跡なのだと思いました。

そして私にはもう一人、丸美さんとは別の心の部分で敬愛している故人の作家さんがいらして、40〜20年以上前の作家さんなのに、偶然「活字倶楽部」の1枚のご紹介ハガキによってめぐり会うことができました。
私にとって、お金にかえることのできないこのお二人の作家さんと出会うことができたのも、「雑誌」であり、「本」だったからこそです。
「ああ、『本』というものは、こうしてご本人が亡くなったり、書かれなくなった後でも、人の心に残ってゆくものなんだ...」
そう実感しました。そして、それは、とても素晴らしいことだと思いました。本に限らず、「良いものは永遠に残っていく」ということに、言葉では言い表せない想いを抱きました。

そして、この大村さんのお言葉を知り、今回の件があり、
「たとえ本が手に入らなくても、図書館で読める。私たちはやっぱり、丸美作品を伝えてゆきたい!!」
と、改めて思ったのです。

私たちの活動(「佐々木丸美」の盛り上がり)がひとつの原因だと思われる、現在の丸美作品の入手困難という状況については、私たちも大変心を痛めています。そして、「これ以上広めていいのだろうか...」という答えのない葛藤に、何度も悩み続けてきました。
けれど、リアルタイムで読まれていた方々を「第一世代」とし、リアルタイムで読めなかったけれど、何らかのきっかけにより丸美作品の存在を知った人たちを「第二世代」と仮りに名付けるとしたら。この活動を通して、第一、第二世代の私たちが、ネットやお友だち、「活字倶楽部」などなどで読み始められた「第三世代」をはぐくむきっかけになれたと信じます。そして、「手に入らないけど、知ることができてよかった!!」と言って下さる方々が大勢いらっしゃる以上、これからも「丸美作品を伝えてゆくこと」はやめることはできないし、この先も続けていきたい、そう思ったのです。そして、この「第三世代」の方たちが、更に「第四世代」へ、そして更に「第五世代」へと読み継がれてゆくための土壌を作っていくこと、それが今の私たちにできる、大事な「役割」だと、改めて思ったのです。

名前さえ知っていれば、図書館で閉架図書から出してもらうことができます。今こうして灯りだした火を、消さずに灯し続けてゆくこと、それは丸美作品の素晴らしさを心から知っている私たち「マルミスト」だからこそできることであり、私たち「マルミスト」にしかできないことだと思いました。

今回の丸美先生のお返事により、私たちの復刊活動は「凍結」状態に入ります。これはとても、苦しい決断です。けれど、あくまで「凍結」であり、復刊をあきらめたわけではありません。この気持ちは、きっと皆さまも同じことでしょう。丸美さんのお返事はあくまで「拒否」であり、「拒絶」ではないのだから、たとえどれだけ時間がかかっても、そんなに簡単にはあきらめないのです。
私たちは、世の中全体から見れば、小さな小さな種でしょう。けれど、大きな大きな夢を持っている種です。芽吹くまでにはもう少しだけ時間がかかるけれど、私たちのこの想いがある限り、種はいずれは芽を出し、花を咲かせ、実をつける日もくるでしょう。その時に、私たちのこの活動の軌跡を知り得た“誰か”が実をかじり、新しい物語が始まることだってあるかもしれないのです。だから、当HP、「佐々木丸美作品復刊運動&ファンサイト『M's neige』」はこの名称を変えることなく、これからも、管理人のウイがネットをしている限り、存続させていきたいと考えています。

今回の「復刊凍結」状態を知り、このHPから、また、丸美作品から離れていく方もいらっしゃることでしょう。でも、20世紀の終わりから、21世紀の始まりにかけてこうしてみんなで集まっていたこと、それを忘れないでいてほしいです。たとえ離れていても、私たちは1つの目標に向かって歩いていた仲間なのですから...! そしてこのHPは、ふとそのことを思い出した時、「あのHP、まだあるかな...」と検索したら、「まだあった!!」という存在であり続けたいと願っています。

「復刊運動凍結」を表明した今日この日から、私たちは新たな決意を胸に、このHPの運営を続けていくつもりです。その過程で、これからも多くの方々のお力をお借りすることになると思います。そして、復刊運動についてもまた何か「これなら」と思うことがあれば(たとえこういう状態でも、年に一度はファンレターを送るなど)皆さまに呼びかけさせていただきたいと考えていますので、どうぞ今後ともご協力をいただけますよう、心よりお願い申し上げます。

最後になりましたが、誠心誠意をこめて丸美先生へのご説得を続けて下さった復刊ドットコムの左田野常務(※注:当時)、竹林部長(※注:当時)に、心より御礼申し上げます。この1年間、本当にありがとうございました。

また、活動にご参加下さったすべての皆さまへ。長いようで短かったこの3年間ですが、私たちの活動はここでひと区切りをし、新たなスタートを切ることになります。これまでの多大なるご協力、励ましに、心から感謝いたします。本当にどうもありがとうございました。精一杯やったのだから、みんなで拍手と握手をしましょう。まだまだ先は長いけれど、これからもどうぞよろしくお願いいたしますね!

そして、私たちをこれだけ動かし得る作品を世の中に生み出して下さった、作者の佐々木丸美先生へ。
先生の作品は、これからもたくさんの人々の心を打つことになると思います。それだけの作品を知ることができたこの“縁”に、心から感謝いたします。
大切なものを見失いがちなこの時代に、「生まれて来てよかった!」と思える宝物に出会えた私たちは、本当に幸せ者です。この先も、私たちは先生の作品を愛し続けていきます。本当に、心の底から私たちはあの作品たちが大好きです。これからも、ずっとずっと...!!

言葉では言い表せない感謝をこめて。親愛なる同志「マルミスト」たちと、佐々木丸美先生へ...。

以上、長々とお読みいただき、本当にありがとうございました。これをもちまして、MFS佐々木丸美作品復刊運動は、無期限の「凍結」状態に入ります。
...が、丸美さんへの積極的な「復刊活動」は一時凍結しても、MFSは継続して活動中です。
皆さま、今後とも引き続き「M's neige」をよろしくお願いいたします。







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